目次
- ■少女☆歌劇 レヴュースタァライトとは
- ■『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』を観た
- ■TVシリーズ全話と劇場版再生産総集編『少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド』を観た
- 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(2回目)を観た
- ■総括
■少女☆歌劇 レヴュースタァライトとは
ミュージカル×アニメーションで紡ぐ、二層展開式少女歌劇
『舞台少女』───
それは未来の舞台少女を目指す、
キラめきに溢れた少女たち。
ある日彼女たちの元に1通のメールが届く。
「お待ちなさい あなたの望んだその星を」
輝く星を掴むべく、
オーディションに集まった9人の舞台少女。
光を求める想いが、執着が、運命が───
舞台の上で交錯する。
今、レヴューの幕があがる。
引用元:TVアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」 | 少女☆歌劇 レヴュースタァライト
■『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』を観た
感想
タイトル以外に知っているのは、たまたま聴いた『再生讃美曲*1』だけ。何も知らないのに観に行くことを決心したのは、タイムラインに流れる
「スタァライトを観てくれ」
というその一文に込められた熱量へ引き寄せられたからだ。
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』――このタイトルを見た誰もが、宝塚音楽学校をモデルにした歌劇の専門学校で少女たちがぶつかり合い成長していく話だと予想するだろう。現に自分もそのつもりで臨んでいた。美しい友情に、すれ違う二人に、叶わない夢に涙するかもしれない。そういう覚悟を決めていた。だが涙は一筋も流れなかった。涙を流す余裕が無かったのだ。
冒頭、真っ赤に熟れたトマトが爆散した時点で嫌な予感がした。一面の砂漠。白々しく晴れ渡った空。爆走する分かり手のキリン。
現代の日本、東京、そのどこかにある学園。当然のようにそこから物語が始まると思い込んでいた。だがその予想が裏切られ現実にはありえない光景を目の当たりにしたとき、直観した。既にここは舞台の上なのだ、と。
舞台の上では何もかもが起こりうる。板の上で役者たちはあらゆる土地、あらゆる時を飛び越える。東京とロンドンが隣り合い、18歳のふたりと5歳のふたりが見つめ合う。そう、“レヴュー”はまさしく舞台だった。そして幼馴染と、親友と、ライバルとの一騎打ちの戦いは、卒業のために必要な舞台だった。
あらゆる物理法則を無視した悪夢のような舞台装置と、瞬きの間に換わる衣装。その中で繰り広げられる剣戟はアニメーションならではの迫力で、ここでしか得られない高揚感を観客に与える。たしかにこれは新しい舞台体験だと思った。
星見純那が引用する名言を聞きながら、頭に浮かんだのは『お気に召すまま』の一節だった。
『この世は舞台、人はみな役者』――シェイクスピア。
追記
- 実は総集編映画だと思い込んで観に行った
- TVシリーズのことは何も知らないから、ここまで書いてきたことが全部間違ってて的外れかもしれない。笑って許してほしい
- 結局“レヴュー”って何だったんだ……TVシリーズを観れば分かるんだろうか……
- 何度も出てくる「T」の正体が全く分からず、出てくるたびに代官山 T-SITEの壁を思い出して辛かった(知らない人はググってください)。最後のシーンでようやくセンター(バミリ)か! って分かってアハ体験した(遅)
- 最初のレヴューの血糊が本物かと思って、ヤバい映画見に来ちゃったな……と後悔した
- 進路指導の場面で生徒たちに名乗らせるのは匠の技だった。映画が初見の人間にも顔と名前を一致させられるし、そのまま進路の話に違和感なく繋げられる。無駄がない
- 『大場なな』だからバナナっぽいツインテでバナナのお菓子作るのか、なるほどなぁ……ってエンドロールで思った。バナナのお菓子が云々って一瞬言ってた気がする。幻聴かもしれない
- キャラクター造形が良かった。キャラの見分けがつくのって大事。ただし99期生と98期生の写真が並んだカットで98期生が地味すぎてちょっと可哀想だった
- ずっと作画が良かったしアクションの見応えもあって満足した
- 当時東京タワーコラボとかあったのかな
- エンドロールで後日談やってくれるの大好き
- 舞台ものでここまでバトル漫画のようなアクションが出てくる作品ってこれまで無かったんじゃないかと思う。企画がうまい
- 普段舞台と縁がない人、というかそもそも舞台を観に行ったことがない人もファンになってるんだろうな。ずっと画面が華やかで、そういう人でも退屈しない映画になっていた
- アニメに続いて舞台版に触れて、ほかの舞台も観に行くようになる人がいたらアツいよね
- もしかして映画で流れたナンバー、全部新曲?
- 花柳香子さん、好き嫌いが分かれそうなキャラだけど好きな人はめちゃくちゃ好きなんだろうなと思った
- キリンの身体がちょいちょい野菜になる演出、何だったんだろう? 燃料が云々って話してたし、身体を動かす燃料としての食物、野菜ということ……? 分からん……監督がアルチンボルド*2大好きなだけかもしれない
- 画面の外の観客が登場人物たちから意識され、見られるのは良い演出だった
■TVシリーズ全話と劇場版再生産総集編『少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド』を観た
感想
- ちゃんと学園で日常してる!!!!
- こういう人たちだったんだ……
- 1つの演目を卒業まで毎年上演する、そういう話だったんだね!
- 花柳香子さんが言ってた『1年前のオーディション』ってこのオーディションのことだったんだ
- 血があんまり出てこなくて安心してたのに総集編の最後が不穏すぎて震えた
- 総集編ですでに『ワイルドスクリーンバロック』って言葉出てきてたんだ
- まあSF用語に明るくないから何も分からないんだけども
- “レヴュー”って実際にやってたんだ!? ※イメージ映像です なのかと思ってた
- “レヴュー”、キラめきによって舞台が勝手に造られる謎空間で行われてたことに驚き
- キラめき→舞台→舞台少女→キラめき→舞台……っていうループ構造なのかな
- キラめきを失った少女は舞台に立てない、舞台は舞台少女のキラめきで生み出されるから
- 永遠のループっていうのが作品の根幹にありそう
- そもそも出席番号が愛城華恋(1番)と神楽ひかり(29番)っていう。最初と最後なんだよね
- 舞台少女の死って何なんだろう。神楽ひかりさんが『死せる舞台少女』って言われてたし、やはりキラめきを失うことが舞台少女としての死なんだろうか
- 総集編の最後に出てきた皆の死体、すなわち皆がキラめきを失うことを示唆してる?
- トップスターへの執着を失い、妥協した進路選択を行うような舞台少女はキラめきを失っているみたいな……?
- 皆円満に100回公演を終えた気がしたんだけど、劇場版結構ギスギスしてたよね……なんで……もう一度観ないと分からん……
- キリンが何者なのか分からなかった
- 大場ななさんと神楽ひかりさんの事情が明かされてからようやく物語に興味が出た。正直それまではあんまり物語に好感を持っていなかった
- ノンノンだよ! と 分かります! を流行らせたかったんだろうな
- シンプルに劇伴が良かった
- バレエのシーン、あんまり上手に見えないんだよね……特に神楽ひかりさんの明らかに180度開脚できてないグランジュッテ*3……
- 見た目優先なのは分かるんだけど、レッスン時に髪を纏めている描写がある方が現実的で好み
- 最後の方のシーンで、神楽ひかりさんと愛城華恋さんがピケターン*4で近づく演出は結構好き
愛城華恋さん
- あんなに努力して(劇場版)聖翔音楽学園に入学したのに遅刻したり居眠りしたりしてやる気が無い(TVシリーズ)のが腑に落ちない
- 「私たち」で舞台に立つことが夢だったから、神楽ひかりさんが行方不明になったことで夢が絶たれてしまい、キラめきを失ってしまったのかな
- 「私たち」の舞台に立って夢が叶ってしまったから、舞台少女としてキラめくために次の夢の舞台を見つけないといけないのかな。それが「私だけ」の舞台なのかも
- 1話で髪飾りを付け忘れていたけど、キラめきが弱まっているから約束を忘れかけている?
- 神楽ひかりさんがオーディションに落ちてキラめきを奪われた影響なんだろうか? 運命の髪飾りで2人は繋がっていて、総てを奪われるはずだった神楽ひかりさんのキラめきを愛城華恋さんが少し肩代わりしたのかもしれない
石動双葉さん
- 英才教育無しに聖翔音楽学園に受かってるの本物の天才なのでは。入学時30位から8位以内に入る伸びしろがすごい
西條クロディーヌさん
- 天堂真矢さんとの絆が強固すぎてもう誰も立ち入れない
- 高飛車傲慢タイプのお嬢様かと思ってた(先入観)けど、すでに一度プライド折られ済みで、思っていたよりずっと感情豊かだし親しみを持てた
大場ななさん
- 劇場版で強キャラ感あったけどこりゃ強いや
- 運命を変えるためにループする人はたくさん見てきたけど、永遠に繰り返すためのループをするキャラって初めてかも
- 声のギャップが効いてて良かった
露崎まひるさん
- こういう子だったんだ……
- あの目つきのヤバい猫が好きなんだね
- 祖母の敷いたレールに沿って生きてきたことにコンプレックスがあって、愛城華恋さんのお世話にしか存在意義を見出せなくなってたのかな
天堂真矢さん
- 西條クロディーヌさんとの絆が強固すぎてもう誰も立ち入れない
- 絶対ファン達から「真矢さま」って呼ばれてる。ブレずにずっと絶対王者で良かった
花柳香子さん
- だいぶ問題のある方で面白かった
星見純那さん
- 台詞がほとんど名言引用なのかと思って警戒してたけど、基本的に自分の言葉で喋る人で安心した
神楽ひかりさん
- 突然無断外出で水族館巡りをしたの、ちょっとついていけなかった。愛城華恋さんがオーディションから降りてくれないから怒って飛び出したみたいな……?
- 片付けられない人なの意外だった
- 100回公演のときに復学したのかな? その後また自主退学……?
『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(2回目)を観た
感想
- 花柳香子さん、家のことがなかったら新国立を目指したかったのかもしれない。自分には新国立を目指すチャンスがないから、総てを覆せる唯一の方法としてオーディションを渇望していたのかな
- 大場ななさんが言ってた「皆、しゃべりすぎ」っていう台詞は意味深だったけどまだ意味が分かってない。大場ななさんの脚本ではこんな台詞書かないってことかな。大場ななさんの理想と皆がずれているってこと?
- 星見純那さん、西條クロディーヌさんに自分も「(新国立に)行けるんじゃない?」って実力を保証してほしかったんだろうな。自分と同等(か、格下)だと思ってる石動双葉さんが保証されたのが効いてそう
- 石動双葉さんに矢印が向きすぎてて心配になる
皆殺しのレヴュー
- 新国立への見学で皆がファンみたいに浮かれてたから大場ななさんが怒り心頭してしまったんだろうか
- やっぱり映像的になかなかショッキング
- 大場ななさん、主席次席含む6人を相手取って勝ってるのマジで意味がわからない強さ
- 剣戟で飛び散る火花が紫がかった桃色だったんだけど、あの色トンネルにおいてとても映えてて美しかった
- あれは大場ななさんが仕掛けたエチュードだったのかな? お前たちはファンじゃなくて舞台人だろ? っていう揺さぶり
- 大場ななさんは99回公演よりもキラめきが衰えた舞台少女には容赦無さそう
- 首から血が噴き出すのグロ映像で嫌だなぁって思ったけど、花柳香子さんの口に血が一滴入る意図とは……何か言ってたけどよく聞き取れなかった。というか何か言えるってことは死んだわけではないの……?
- 怪我の具合が人によって違うのは何か意味がある気がする。天堂真矢さんは軽症だったし、花柳香子さんは重症だった
- 愛城華恋さんが呼ばれなかったのは、進路を決めていないから? 大場ななさんは進路を決め、卒業していく人たちに対して何か思うところがあるのかな。子離れできない親感ある
- ワイルドスクリーンバロックに参加した舞台少女たちは全員齧っていたけど、トマトは何の象徴なんだろう。皆殺しのレヴューで戦った人たちは全員戦いの後に齧っていたから、何らかの覚悟を表しているんだろうか
- どこかで大場ななさんが、舞台少女はすぐ飢え渇く……みたいなこと言ってた気がするから、トマトには舞台少女の飢えと渇きを癒す役割があるのかも
- つまり、舞台少女で在り続ける覚悟を決めてトマトを齧っているのかな
怨みのレヴュー
- 花柳香子さんが「お菓子箱に毒を盛られた」って言ってたけど、お菓子箱扱い(言葉の綾だと思うけど)の石動双葉さんがちょっと気の毒だった
- 石動双葉さんが西條クロディーヌさんではなく花柳香子さんに相談していれば良かったんだよね。自分の隣にいてくれると約束した相手が、相談も無しに他人の助言で去っていくのは辛すぎる……しかも自分は追うこともできない……
競演のレヴュー
- エレベーターの行き先が99階から101階で意味深だった
- 露崎まひるさんが「大っ嫌いだった!!!」って言ってびっくりした。出会いたての頃は大嫌いだったかもしれないけど、そこから友情が芽生えていたように見えていたから、このセリフも彼女の渾身の演技なんだよね。愛城華恋さんを助けるために神楽ひかりさんを全力で煽って発破をかけてたのか
- メイスが地面にめり込む音とかマスターホワイトがぶち折られるところとかマジで音怖かった
- 舞台から逃げることも舞台少女としては失格だよね。まだ神楽ひかりさんはトマトを齧っていない
- 『ワイルドスクリーンバロック』は『オーディション』じゃないから決着は上掛けの有無じゃないんだよね。上掛けを落とされてもこのレヴューは終わらない。互いの気持ちにケリが付くまでレヴューは続く
狩りのレヴュー
- 大場ななさんの「ガオ!」が良すぎた
- 陸軍 vs 海軍
- 舞台から逃げるくらいなら自分で舞台人としての途を断てってこと……?
- 星見純那さん、キラめきを砕かれても武器を失っても折れずに相手の刀を自分の武器にするところ最高だった
- 『スタァライト』の役(脇役)と同じ武器を捨てて、新しい武器を手にした=新しい役ってことかな。「私が主役だ!」って言ってたから、彼女の舞台ではこれが主役の武器なのかもしれない
- いつか追いつく→今追いつくっていう変化
- 進路指導でさえも他人の言葉を引用していた星見純那さんがここでようやく自分の言葉で叫んでる
- 大場ななさんが二刀流だったのって役者と裏方を選べないことの表れだったのかと思ってたけど、ここで刀を奪われて一本になるのは、進路が決まったってことなのかな
- 眩しさに届いた大場ななさん……
- このブログここまで大場ななさんの話しかしてないね
魂のレヴュー
- アニマル将棋のシーン、天堂真矢さんが負けてるの初めて見た
- 天堂真矢さん、おそらく相当な負けず嫌い
- ひよこを守る天堂真矢さん、可愛いもの好きなんですか?
- 完璧なスタァを演じる天堂真矢さんを剥き出しにさせるのは西條クロディーヌさんだけだということがようやく分かった
- ゲーテの『ファウスト』が題材かと思ったけど、『ファウスト』は50ページで挫折したから何も分からない……。人生に後悔し空虚な心を抱えているファウストが、人生をやり直さないかと悪魔メフィストフェレスに誘惑され、人生に満足して『時よ止まれ、お前は美しい』と口にすれば魂を奪われるという契約を交わす話(うろ覚え)。最後のシーンで『時よ止まれ、お前は美しい』をなぞった言葉を天堂真矢さんが口にしていたけど、原点とは契約内容が異なるから魂を奪われるのではなく、魂を取り戻した感じになってた
- このレヴューで悪魔(西條クロディーヌさん)は天堂真矢さんに魂を取り戻して欲しかったってことか
- 西條クロディーヌさんが舌にボタンを隠してる演出強すぎて拍手したかった
- 「私はいつでも可愛い!」最高
- 分かり手キリンは我々観客の代弁者だと思った。オタクすぐ分かり手になるから……。舞台を、役者を観測する観客無しには舞台は成立しないわけで、これまでキラめき→舞台→舞台少女→キラめき→舞台……っていうループ構造で描かれてきたこの世界に、今回の劇場版で観客という要素が加わったように感じた。舞台少女が人生の総てを燃やしてキラめくだけでなく、観客も己を燃やして舞台の糧になることができる。舞台少女の熱で燃やされた観客が返した熱が舞台少女をまたキラめかせることができる
- 「燃えながら落ちていく炎」って隕石のイメージだけど、燃え尽きるまでずっとライバルってことでしょ……
最後のセリフ
- 神楽ひかりさんが「華恋のファンになってしまうのが怖かった」って言ってたけど、舞台人とファンの関係については作品内で結構言及されてる気がする。冒頭の新国立見学でもそうだったけど、ファンになってしまうと同じ土俵で戦えなくなってしまうっていう価値観があると思う
- 5歳のとき(舞台少女として)一度死んだ神楽ひかりさんを愛城華恋さんが再生させ、今度は愛城華恋さんを神楽ひかりさんが再生させる構造、美しい
- ここでいろんなことが起こってるけどまだ消化しきれてない……
- 今まで愛城華恋さんは運命の髪飾りだけを燃やして再生産していたけど、ここで初めて運命以外を燃やしているんだよね。5歳から今までの総てを燃やして再生産してる
- キリンが「普通の女の子としての人生を選ばず総てを燃やして云々」みたいなことを言ってたけど、他の舞台少女たちは自分の総てを燃やしていたってことだよね
- 神楽ひかりさんのキラめきが胸に沈むことで愛城華恋さんの剣が折れたのはなんでだろう? 神楽ひかりさんのキラめきに圧倒されて折れたなら、5歳のときに舞台上のキラめきに圧倒されて神楽ひかりさんが一度死んだのと重なるよね。剣が折れても死ななかったのは「貫いてみせなさいよ、あんたのキラめきで!」っていう煽りが効いてそう。「ひかりちゃんに負けたくない」よね
- 今まで「ひかりちゃんと『二人で』スタァになる」という意識だったから、役者として神楽ひかりさんを認識したのはここが初めてだったのかも。「二人で一つ」からの独立の瞬間
- 武器なんで折れたんだ……胸に入った光は何……やっぱりこの辺り観察が足りなかったなぁ。流れもあんまり覚えてないし、感想もしっくりこない
- ここで初めて観客の存在に気づくの、今まで本当に神楽ひかりさんしか眼中になかったんだなっていう
- 胸がポジション・ゼロの形で切り裂かれてたけど、恨みのレヴューと魂のレヴューでも最後にポジション・ゼロが映ってたから多分全部のレヴューの最後にポジション・ゼロがあったんだろうな
エンドロール
- 新国立組〜〜
- 花柳薫子さん、バイクの免許とって一人でバイク運転してるの? 初めて自分の足で、自分の意思で……。というか石動双葉さんに内緒で何かするの初めてなのでは……
- 西條クロディーヌさんと一緒にいるひよこ……
- 星見純那さんと大場ななさんの進路がガッツリ変わってて思わずにっこり
- 最後、神楽ひかりさんも愛城華恋さんも髪飾りを外してカバンに付けていた。髪飾りは一緒にスタァライトするための運命のチケット(うろ覚え)だから、役目を終えたんだな
- この二人の進路だけ不明なの余韻があっていい
■総括
ちなみにこれ土・日・月の3日間で駆け抜けてます。土に劇場、日でTVとロロロ、月に劇場。
考察は好きだけど疲れるので普段あんまりやらないんですが、今回は劇場版で受けた熱量の行き場がなくて一週間ずっとスタァライトのことを考えてました。この時点で7,800字超なのでヤバさが伝わると思います。
劇中劇『スタァライト』との関係とかポジション・ゼロとか東京タワーとかもう少し掘り下げたいところはあるんですけど、さすがに記憶力の限界で無理でした。
(隙有自語)小さい頃9年間クラシックバレエをやっていたので舞台に立つ側の目線で語れたらよかったのですが、残念ながらなんとなくノリでやっていたので舞台に対する情熱も思い出も特にありませんでした。ソロで舞台に立ったこともあるのに……。舞台に緊張した憶えも楽しかった憶えもなくて、ただ少しずつ上達していくのが嬉しかったということと、緞帳が上がる瞬間の高揚と眼を焼く白いライトの眩しさだけが胸に残っています。演じることの喜びや、キラめきへの憧れと出会っていたら、自分も舞台少女になれたのかもしれない……と、出会えなかった自分に切なさを覚えました。
誰の需要があるのか分からない記事になってしまいましたが、ここまで読んでくれてありがとうございます。パンフレット通販で買おうかな……。
届いた
— 樫葉都 (@vtNJGjWq)
スタァライト舞台2再演の舞台パートだけギリギリ観れたんだけど、3月か4月に第101回聖翔祭で絶対主役を獲るって決意を固めたはずなのに劇場版で5月には進路に気が散って皆ふわふわしてたってこと……?
そりゃ香子さんもキレるしななさんも皆殺ししますわ
— 樫葉都 (@vtNJGjWq)
劇場版→TVシリーズ→ロロロ→劇場版 して考察書いて読み漁って一通りの納得ができたので自分の中ではスタァライト履修楽しかったなって完結してたんだけど
舞台版
おまえ
舞台版でこんなに情報補完されるなんて聞いてない助けて
— 樫葉都 (@vtNJGjWq)
他媒体の行間を少しずつ埋めていくタイプのメディアミックスが好きすぎるオタクなんだからこんなの即死だよ
舞台とアプリとコミカライズも追えばいいんですか
やめてよぉ
追いきれないよぉ
— 樫葉都 (@vtNJGjWq)